荻野アンナゼミ

慶應義塾大学文学部

インタビュー
2020.02.20

16世紀のフランス文学を通して、テクノロジーが進歩する現代を見る|慶應義塾大学荻野アンナ教授インタビュー【前編】

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16世紀のフランス文学の研究者であり、小説家、落語家でもある慶應義塾大学文学部仏文学専攻の荻野アンナ教授に、研究室(ゼミ)での活動と研究テーマのフランソワ・ラブレーついてお話を伺いました。


ラブレーの魅力とは?ラブレー研究から見えてくる現代とは?


「文学の研究なんて何の役に立つの?」という人にこそ読んでほしい!現代社会を考える上でも大事な視点が得られるはず。

そんなインタビュー内容を前編後編に分けて掲載いたします。


「文学を研究する」ってどんなこと?

まず初めにゼミでの研究テーマについて聞かせてください。


荻野

研究室は文学部仏文専攻の所属で、私はフランス語とフランス文学を教えています。


専門は16世紀のフランス文学ですが、ゼミで16世紀文学をテーマにする学生は10年に一人くらいですね。
今年の卒論ではカリカチュア(風刺)、カフェ文化、スポーツの歴史について、それぞれ一人ずつという感じです。


学生はフランスの文化的なことについて、幅広くテーマに選んでいるんですね。


荻野

仏文に来る人は、「文学」に興味がある人、「文化」に興味がある人、「言語」に興味がある人の大体三種類に分かれますね。昔、フランスの競馬っていう学生もいました。


ご自身の今の研究テーマについても教えていただけますか?


荻野

16世紀のフランスの作家、フランソワ・ラブレーを研究しています。
最近はその周辺とか、モンテーニュもちょっと手を伸ばしてみようかな、としているところですね。


文学の作家を研究するというのは、どんなことをされるんでしょうか?


荻野

例えば、フランスで何年か前に「ラブレーと落語」というテーマで学会発表をしました。同じネタが両者の間に存在するんですよ。そのネタはフランスだけではなく、ヨーロッパのかなりの国で同様のものが通用しています。


そのことを、落語をきっかけにして確認した上で、ラブレーがどのように料理したかについて話し、そこから彼の世界観へと話を移すという内容でした。


その落語のお話というのは?


荻野

落語で「しわい屋」というケチの話がありましてね。


ケチな人がいて、その隣が鰻屋で、鰻を焼く煙をおかずにしてご飯を食べている。
そうすると年末に鰻屋の小僧がやって来て、お代金を取りに来たというので、「そちらの鰻は頼んでないよ」と隣の男が言うと、「いや、でもお客さん。煙を吸うでしょう。煙を吸いすぎて、うちでは炭が沢山いるようになったと旦那も言っていて。だから煙代をよこせ」と。


それに対して、「そうか、そうか。本当にケチだな」と言いながらお金を取り出すんで、鰻屋の小僧は貰えるんだと思って手を差し出すと、「そうじゃない」と言って、お金をちゃりちゃりさせて、鰻の煙に対してお金の音で払ったという話です。


ラブレーだとフランスだから、鰻じゃなくて焼肉の煙でパンを食べたという話になります。イタリアもドイツもトルコも似た話があるんですよね。国によって食べるものは若干違ってきますけども。


なるほど!様々な国や地域で物語の構造や本質が似通ったものがあって、それに対して作家がどのような表現を使っているか、ということですね。


“服のサイズ15号”の文体のおもしろさに魅かれて

ラブレー文学との出会いについて聞かせてください。


荻野

ラブレーに出会ったのは15歳の時で、私は文学少女だったんですが、学校の教科書に出てくるような名文というのにピンと来なくて。自分で色々探していて、ラブレーの冗舌体というのに出会いました。


冗舌体?


荻野

ラブレーの文体は、服のサイズでいうと13号とか15号なんです。美文というのは削っていって美しくするというのもありますけど、渡辺直美さんみたいな感じで、“ぷにょ”ならではの良さというのもあるんです。


だから平均9号とか11号だとすると、モデルさんはそれより更に細くするわけですが、むしろ13号とか15号のおもしろい文章があってもいいな、と。


“ぽっちゃり”だからの良さもあるということですね!


荻野

結局、卒論からテーマはずっとラブレーで、博士論文書くと30歳になっていました。中3の15歳から30歳までの15年間をかけて自分がおもしろいと思ったものに対して納得できたんです。


ルネサンス期の文豪、ラブレーの技術の進歩に対する喜びと恐怖


ラブレーについて、もう少し教えてください。


荻野

ラブレーは16世紀の作家で、ルネサンスの三大文豪の一人。ラブレーよりも一世代下るとシェイクスピア、それからセルバンテスですね。
ルネサンスというのは資本主義が世に広まる前夜くらいです。


中でもラブレーに興味をもたれたところとは?


荻野

後付けの理論ですけど、なんか近現代に繋がるものを感じるんです。


いわゆるルネサンスの三大発明というと、印刷術、航海術、それから大砲ですよね。それを今にと置き換えると、メディア革命、宇宙旅行、最終兵器(核兵器)だと思うんですね。


そういう文明の進化に対する希望と絶望が、両方ラブレーの中にはあるんです。


希望と絶望ですか。


荻野

例えば、巨人を主人公にした滑稽な物語の中で、ガステルっていう人が出てくるんです。(『ガルガンチュアとパンタグリュエル』)


ガステルはお腹、つまり空腹の象徴で。そのガステルの為に、世の中の動物も人間も奔走しているんです。まぁ、食べるために奔走するわけですよね。それで人間は農業を作り、今度はできた作物を盗られないように守り、それが段々と兵器の発達にも繋がっていって。ラブレー式に言うと三倍も呪わしい「地獄の機械」という大砲の開発に繋がった。


近代のように進歩に対する信頼というのがまだ固まっていない時代なので、そうやって文明が進歩していくことに対するルネサンス的な喜びもあるけれども、それが行き過ぎたときへの恐怖というのが、もうあるんですよね。


核兵器のような最終兵器が出てきたり、技術が進歩することに対する恐怖は今もあるとは思いますが、ラブレーの時代に比べて薄くなっているのかもしれませんね。


荻野

当時は、近代的な意味での進歩の概念もありませんでした。17世紀でもフランス文学の世界では、古代派と近代派に分かれて論争していたくらいなんです。古代の方、ギリシャ・ローマの方が優れているという派がまだ根強かったですから。


そういう中でラブレーはテクノロジーの発達した先というのを考えていたと思います。


ラブレーは進歩やテクノロジーを、どのように捉えていたのでしょうか?


荻野

進歩に対する賛美の念と、行き過ぎてしまう人間への恐怖というのは表裏だと思うんですね。


ラブレーは立場的に旧教カトリックの中の穏健改革派で、人間の可能性と限界というのは常に作品の中で問われてます。


だから主人公はガルガンチュアという巨人で、その息子もやはり巨人のパンタグリュエルなんですが、彼らは物語の世界から呼び出してきたキャラであると同時に、ルネサンス的などんどん膨らんでいく知の可能性を体の大きさで表していたところもあります。


技術の進歩が起こりはじめた黎明期に希望と恐怖の両方を感じていて、それは現代にも同じようにあるというのは興味深いですね。


荻野

そうですね。それが現代から見ても新鮮ですね。


禁書扱いまで!?ラブレーの個性的な文章とは。


ラブレーは、他にはどのような物語を書いているのでしょうか?


荻野

なかなか教材にしにくいような章もいっぱいあります。


有名なエピソードなんですけど、『ガルガンチュア』の13章に尻拭き話があって、何でお尻を拭いたら一番いいのか、という。
5歳のガルガンチュアが色々と試してみるんです。小間使いのビロードのスカーフとか、頭巾、帽子とか。猫で拭いたら引っ掻かれて痛かったとか。セージ、ウイキョウ、アニス、キャベツもありますね。


なかなか個性的ですね(笑)。


荻野

それを言ってるかと思うと、途中でうんちの詩というのを読むんです。「うんち之助に、びちぐそくん、ぶう太郎に、糞野まみれちゃん」みたいな詩をいくつか読んで。


そしてまた尻拭きに戻りまして、雄鶏、めんどり、雛鳥みたいな動物もあって、結局何が一番良かったかというと、「うぶ毛でおおわれたガチョウのひな。その首を股ぐらにはさんでやらなくてはいけません。」そうするとフカフカで気持ちがいい、とそこがオチになるわけですけど。


確かに教材にしにくいですね。


荻野

小間使いの頭巾やスカーフというのは、例えばエルメスのスカーフとか、シャネルのバッグでお尻を拭くというように現代に置き換えてみると、あらゆる価値の高いものを低くして、低いものも認められる。我々の普段の価値観というのが完全にひっくり返る楽しさがあるわけです。


他にも、ラブレー作品の特徴はありますか?


荻野

あとは文体も羅列芸がすごいですね。
例えばパンタグリュエルがパリで勉強するんですが、図書館でこんな本を読んだ、こんな蔵書があるのに感嘆したという章で、文庫本の約17ページがずっと本の題名の羅列なんです。(『パンタグリュエル物語』)


ずっと本のタイトルを並べて書いているんですね!


荻野

当時の神学書とか法律の注釈書が妙に複雑だったことへの風刺なんですが、結局全部滑稽な題名で。


それを文章にして書くのではなくて、本の題名だけ並べてわかるようになっている。「神学たまきん」とか「司教の毒ナス」とか。(以上、宮下志朗訳に基づく)


怒られそうですね(笑)。


荻野

怒られるんですよ(笑)。ラブレーはこういうものを出しては、神学部から禁書扱いになり続けてますね。時々直すんですけれども、やはり新しい作品がでると禁書になりました。


ただ修道士であり、医者であり、法律にも詳しかったので、パトロンのイタリア旅行に同行したりしてやり過ごすんです。修道士というと人の心を救うわけですけど、医師は体を救うその両方に関わろうということだったのだと思います。



【インタビュー後編】

「人間ってなんだろう?」フランス文学研究の真髄|慶應義塾大学荻野アンナ教授インタビュー


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