赤川学ゼミ(社会学研究室)

東京大学大学院人文社会系研究科

インタビュー
2020.02.06

ポルノやエロスが社会学に?セクシュアリティの研究について聞いてみた|東京大学赤川学教授インタビュー【前編】

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東京大学大学院人文社会系研究科の赤川学教授にお話を伺ってきました。


専門は「セクシュアリティの研究」。

ポルノ、エロス、オナニーなど次々と飛び出すセクシャルなワードが一体どのような研究になるのか?

身近でありながら意外とディープなお話を前編後編の2回に分けて掲載します。


ライフワークは「セクシュアリティの研究」

まず初めに赤川先生の研究テーマを教えて頂けますか。


赤川

ライフワークとしてはセクシュアリティの研究ですね。
始めたのは大学の4年生頃からなんですけど、その頃はもう完全に外れもののテーマでした。


セクシュアリティの研究!?


赤川

セクシュアリティという言葉自体があんまりなくて、エロティシズムの研究とか性欲の研究とかって言われたんですけど、そんなことやって社会学になるのかって思われてたんですよね。


なぜそのようなテーマを選んだのでしょうか?


赤川

どうしてもずっとその事に関心があって……まあ単純に言うとモテないからだったんでしょうね。原点を話してしまうと(笑)。なんで俺はこんなにモテないんだろうって。


小谷野敦さんていう文芸評論家の方も『もてない男 ――恋愛論を超えて』(ちくま新書)っていう本を書いてブームになったこともあるんですけど、それに近かったですよね。


セクシュアリティの研究について、もう少し詳しく教えて頂けますか?


赤川

性の現象っていうのは普通に考えればただの性欲、つまりエロスですよね。


だけどすごく自分のアイデンティティに関わる部分がある。例えばLGBTとかもそうですね。
当時はゲイ解放運動がちょうど出始めの頃で、まさにそのゲイというアイデンティティを持った集団が出てくるっていう状況でもあったんですね。


一方で、性っていうのは非常に社会問題化するんですよね。最近で言うと「宇崎ちゃん献血ポスター」なんかもそうですね。


すごく社会と結びついているのに、当時は社会学になるとは思われていなかったんですね。


「ポルノ赤川」と呼ばれた大学院生時代


当時の研究についてもう少し教えて頂けますか?


赤川

最初に興味を持ったのはポルノグラフィなんですけど。すみませんこんな話で(笑)。


いや、謝るようなことでは(笑)。とても興味深いです!


赤川

ポルノグラフィも実は同じようなところがあるんですね。モテないからしょうがなく見ている面とポルノを見るうちに自分の性的な嗜好が徐々に分かってくる。


でも一方でいろんな批判に晒されるわけですね。ちょっと間違うとわいせつ罪だったりで捕まりかねないですし、AV(アダルトビデオ)なんかも「これは性差別だ!」みたいな批判もやっぱり当時からあったんですね。


だから自分にとってはポルノの問題っていうのは重大でしたよね。重大でしたって言うと変な奴と思われるような気もしますけど(笑)。


研究として成り立っていたんですか?


赤川

成り立ってなかったんですよ。当時の社会学って要は社会とは何かっていう大きなテーマを立てて、社会はいかにして成り立っているのかみたいな感じでして。


分かりやすく言うとマルクスですね。社会っていうのは階級で成り立っていて、階級同士が対立することでいろんな革命が起きたりして社会が変化する、というような感じで。


1980年代くらいまでは、そういう「社会とは何か」とか「どう変化していくか」みたいな巨大なテーマをやるのが社会学だっていう風になってたんですね。


その中でポルノをテーマにするのは大変そうですね……。


赤川

東大にいた先生方も大体そういう先生達ばっかりで、個別な小さなテーマをやってどうするんだみたいなムードがあったんですよ。


大学院に入った頃はよくポルノ赤川って言われてました(笑)。こいつ大丈夫なのかみたいな目で見られてたと思いますね。


なんと(笑)。


赤川

ですけど、社会学の中でそういう大きな社会変動とか社会秩序がどう成り立ってるかみたいな、要は有名な人の本だけ読んでれば研究できるような流れっていうのがなくなってきて。


個別の家族だったり、地域だったり、人口問題だったりいろんな現象を扱いながらその現象が持ってる意味を解釈して解読していくっていう流れに変わってきたんですね。


それが幸運だったといえば幸運だったですね。ポルノの研究してても一応社会学の中でやっていけるっていうところがありまして。それで修士に入った頃から5年ぐらいそういう研究をしてたんですね。


「ポルノ赤川」から「オナニー赤川」へ


赤川

その後ポルノからさらにテーマがやばくなってですね。オナニーの研究になりまして。その頃はオナニー赤川ってよく言われてましたけど(笑)。


オナニー赤川(笑)。


赤川

本人としては一応真面目にやってるんですよ。もう面白いんですよねそのいろんな言説を調べていると。


どのような研究だったんでしょうか?


赤川

オナニーに対する考え方っていうのは本当に30年くらいでコロッと変わるんですよ。


例えば、我々くらいの世代ではオナニーしてると頭が悪くなるって言うのを中学生ぐらいの頃に聞いた覚えがあるんですよ。


そういう考え方って明治の初頭ぐらいに日本に入ってきて、単に頭が悪くなるどころか身体的にもインポテンツになったり不妊になったり、最終的には死に至るって言われていていたり、あるいは精神的にも精神障害を引き起こしちゃうよっていう理論が当時はスタンダードだったんです。 


そんなことが言われていたんですね!


赤川

明治の文明開化のとき、特にヨーロッパの方で17、18世紀あたりにいわゆるオナニー有害論っていうのが出てきまして。本当に真面目に科学的に信じられているんですよ。


明治以前の日本人もやりすぎちゃいけないくらいのことは思ってたんですね。これは男性だけの話になっちゃいますけど、『養生訓』っていうテキストにそういうことが書いてあって。
逆の意味で言うと、まあやり過ぎなきゃ別にいいでしょみたいな発想だったんですよ。


なるほど。基本的には良くないものだと。


赤川

ヨーロッパの方はもう病的ですね。一回でもやっちゃダメとか、子供の頃オナニーしてたらそれが大人になって色んな病気になるとか、そういう形で特に教育の分野に入ってくるんですね。


そういう考え方が科学として広まって、その影響を日本も100年くらい受けるんですよ。ですけど徐々に変わっていきますよね。


どのように変わったのでしょうか。


赤川

最終的には今はもうオナニーはやらなきゃいけないってなってるんです。性教育とか性科学の世界では。オナニーやらないと将来の性生活に不安があるみたいな、そんな位置づけになってまして。


何でそんなに180度考え方が変わるのかっていうのを歴史の問題として研究したいと思いまして、それで博士論文を書いたんですよ。


とても興味深いお話です。


赤川

もちろんヨーロッパと日本の場合多少違うんですけど、なんでそういうフェイク情報が世の中に広まっていったんだろうかっていう研究をやったつもりなんですよ。それが大体7、8年掛かってますね。


なるほど。なぜフェイク情報が広まったのか。今でもオナ禁(オナニー禁止)すると良いみたいな真偽不明な話を聞いたりします。


赤川

それがセクシュアリティ研究と私が言っているものですね。


私自身は言説の研究だと考えています。


オナニーという行為そのものの研究は難しいので、オナニーに関する言説とか考え方がどう変化して何で変化するのかっていうの問いに直すといろんな社会的な要因があり得るんですね。


社会的な「性欲」の捉え方の変化


言説や考え方の変化について、どのような要因が考えられるのでしょうか。


赤川

一番大きいのは性とか性欲に関する意味が変化したことですね。


今でも性欲って言い方しますけど、20〜30年ぐらい前は「いやぁ性欲に駆られて思わず痴漢しちゃった」みたいな理屈が通用してたんですよ。また、今非常に問題になっている慰安婦ってありますよね。あれも本来は性病とか軍隊が現地の人をレイプしてしまうのを防ぐための仕組みなんですよ。当時日本にはそういう公娼制度っていうのがありまして、売買春は国家公認だったわけです。


今だと考えられませんね。


赤川

なんでそのように考えるかっていうと、特に男性の場合は性欲っていうものが湧き上がるように出てきて、それを完全に禁欲することができないので何らかの行為で満足させてやらなければいけないって考えられていたわけです。


ちょっと信じられないかもしれませんが、性欲の満足のさせ方としてオナニーか買春かっていう問いが大正ぐらいから共有されていくんですね。


つまりオナニーやっても害があるし売買春は売買春で性病の危険があると。


そんなことが……。


赤川

じゃあ子供にどっちをさせたらいいんでしょうみたいなことを森鴎外家でも悩んでるんですよ。他にも哲学者の三木清とか仏教学者の鈴木大拙とか、当時の日本の一流の知識人も結構その問題は考えていたんですね。


そういう記録が残ってるんですか?


赤川

それが残ってるんですよ。


最終的にはやっぱり買春の方が道徳的にいけないっていう話になってくるんですよ。今につながる話ですね。性をモノ化しているだとか人格的に見ていないとか。


性の商品化っていう言い方が出てくるんですけど。買春の不道徳性、非人道性の方が問題で、買春するくらいならオナニーしなさいって変わってくんですよ。


オナニーが有害から無害に転換していく過程ではそういう考え方が結構大きかったっていう風に思ってまして。こう説明すると一応社会学の中に入ってくるわけです。


科学的、医学的にということではなくて、社会的にどう捉えられていたかっていう視点から考えられているんですね。


赤川

科学が順調に発展して有害論が無害論に変わっていくっていう、いわゆる啓蒙的なものとして語るよりは、社会的な意味をめぐる闘争ってのがあってその産物としてオナニーが有害か無害かってのが決まってくるっていう事を考えていたんです。


なるほど、分かりやすいです!


赤川

現代はそこから更に転換してきてまして、オナニーすることで自分の性的アイデンティティを知るって言う話が出てくるんですね。


特に昭和の40年代ぐらいなんですけど野坂昭如とか寺山修司などが「オナニーはセックスよりもいいんだ」とか言い出し始めるんですよ。


どういうことでしょうか?


赤川

セックスっていうのは他人があって面倒くさいと。一人でスカッとできるオナニーの方が幸福の原点なんだみたいなこと言う人たちが出てくるんですよ。


他方で、いやいやそうじゃなくてオナニーは独りよがりで寂しい行為、他者とのコミュニケーションを欠いた行為である。コミュニケーションの取れないモテない男のやる行為だっていう考え方も出てくるんですよ。


なるほど。「お前のやってることはオナニーだ」みたいな表現もありますよね。


赤川

その二つが対立しているのが現代だっていう風に捉えています。その時にはもう性欲っていう考え方を取ってないですね。現代風のセクシュアリティの考え方にすごい近くなってきている。


要するに自分のアイデンティティを確認する行為だっていう意味合いに変わってきている。


そんなことを書いたのが20数年前のことになります。これがセクシャリティの研究ですね。


すごく興味深いお話でした!


赤川

自分としては面白いからやっている、ただそれだけなんですけど。たまたまそれが社会学の中でも、ジェンダー論とかセクシュアリティ研究みたいなのが出てくる時期で、その流れにマッチしてたんでしょうね。それで少なくとも博士の間はそのような研究をやっていたという感じでした。


【インタビュー後編】

セクシュアリティから少子化問題へ。フェイク情報が広まる歴史を分析する|東京大学赤川学教授インタビュー【後編】



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赤川学ゼミ(社会学研究室)
東京大学大学院人文社会系研究科
専門は社会問題の社会学、歴史社会学、社会調査方法論。マスメディアや議会など公共的な空間において社会問題が構築される際の特徴やバリエーションを明らかにするとともに、社会問題の構築の歴史--いかに、なぜその変化が起きたか--を考察する。
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